勉強メモ
by ludwig_mayr
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休憩中 福本伸行『賭博黙示録カイジ』
ざわ… ざわ…

福本漫画はよく知らないし一冊だけっ……

と手を伸ばした『賭博黙示録カイジ』ですが、

麻薬のような面白さがあるというか、

読み始めて一週間で破戒録の3巻まで読んでしまいました。

ハマっている・・・すでに泥中・・・首まで・・・

ギャンブルは全然分からないので、破戒録になると理解できないかなと
思ってたけど、チンチロも面白そうだ…やらないけど。

# by ludwig_mayr | 2007-07-19 23:34
第八十九夜 中村凉応『はじめての装飾写経』

前に厳島に旅行したとき、平家納経なるものの存在を知りました。

そのときは全く気にも留めず、観光の一つのトピックとして
流してしまった気がするんだけど、改めて見てみると
芸術的にも素晴らしいと思います。


平家納経

装飾写経とは
『書く』芸術と『描く』芸術と『宗教芸術』が交差する場所なんですね。

イスラム教のカリグラフィも、文字そのものに神聖性を認め、
それを文様化するという点において、写経に似たところがあるんじゃないかと思います。

最近写経は脳トレとしても人気が出てるみたいだけど、
やるなら鉛筆とかじゃなくて、しっかり紺紙に金泥でやってみたい。

自分の書いたものが
将来ひょっとして文化財になっているかも??
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# by ludwig_mayr | 2007-07-16 22:45 | 仏教思想
第八十八夜 ジョン・マクスウェル『求心力』
カリスマ、と呼ばれるような魅力的な人物は、
いったいどのような行動習慣を持っているのか?

ちょっと社会に出る前に、そんなことを考えてみました。
本書の結論としては、

高い目標と夢を持ち、
生き方の筋を通し、
相手のニーズを汲んで、
チームを尊重し、メンバーに期待をかけ、
自らの失敗経験と立ち直りを共有して相手を励ます…

確かにこんな上司がいたらモチベーション上がるし、
自分もこうなれたら良いな、とは思う。

しかし、この本を読むと、ちょっとそこに到達するまでの
道のりに抽象論的なところがあるなという印象を持った。

たとえば本書には、

相手の考えていることをうまく引き出すような質問をすることを
心がけるべきである

と書かれている。しかし、それが一番難しいのである。
ついお節介になったり、的外れになって悩むのが凡人。
これができるのはおそらく超一流TVキャスターぐらいのものだ。
訳者の齋藤孝氏の「質問力」も読め!ということかな?

相手を助けるためには、自分が相手より速く成長し続けることが必要条件だ。
人を助けるということは、常に隠れた自己修練の裏返しである。

# by ludwig_mayr | 2007-07-15 01:10 | 西洋思想
第八十七夜 松永有慶『理趣経』
密教経典である『理趣経』を分かりやすく解説した文庫本。
この経典でよく注目されるのは、大胆に欲望を認めている点。
男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である。
欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である。
男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である。
異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である。
男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である。
欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である。
男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である。
男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である。
自慢の心も、清浄なる菩薩の境地である。
ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である。
思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である。
満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である。
身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である。
目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である。
耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である。
この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である。
口にする味も、清浄なる菩薩の境地である。

理趣経では、これらの欲望が清浄であるのは、
人間の本質が清浄であるからであるとする。

確かに、密教における阿字観では、宇宙の本質である
大日如来(阿字)と自分が一体であると想像する。(梵我一如に近い)
そうすることによって、人間の本質と清浄な宇宙の本質が
一体になろうとするのである。

その結果として、人間=大日如来=清浄が達成できれば、
理趣経の境地に達することができる、ということなのだろうか。
(=欲望も清らかになる)

人間の欲が100あるとする。
これをゼロにしようとするのが普通の修行の発想。

しかしこれを150にして、そのエネルギーを良い方向に
使おうとするのが理趣経の発想である。(たぶん)

…と理解したんだけど、自信ない。
この経典が一般人に与えるインプリケーションはなんだろうか…
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# by ludwig_mayr | 2007-07-14 01:05 | 仏教思想
第八十六夜 白洲正子ほか『名文でめぐる国宝の阿弥陀如来』
今日新しい眼鏡を買ったんだけど、
眼鏡を受け取る待ち時間の間に仏教美術の
良い本を見つけたので購入。

「名文でめぐる国宝の阿弥陀如来」

日本の古刹に安置されている阿弥陀如来像が、
それにまつわる文学作品とともに紹介されている。

仏教に対する関心は微妙なところである。
信仰には程遠い。でも修学旅行的な野次馬でもない。
学的興味というには浅すぎる。

僭越ながら、円地文子『日本の仏像』に描かれる心境と近いものがあるのだろうか。

いったい私は仏像を見るときに、どういう気持ちで仏たちに対しているのだろう。信仰の対象としてみるのか、美術品として鑑賞するのか、考えてみると、どうも信仰の対象というにはあまりに造形美に心をとらわれているようだし、さればといって単に形が美しいとか、気高いという感じだけで仏像に対しているといえばこれも嘘になる気がする。


ちょっと前まで全く仏教美術には関心持ってなかったから
不思議だ。友人から三島由紀夫の本を紹介されたからかも。

紹介されているお寺の中では京都の三千院に行ってみたい。
三千院は天台宗のお寺で、
ネット上の写真で見ると、庭がとてもきれいだ。
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# by ludwig_mayr | 2007-07-13 23:12 | 仏教思想
第八十五夜 白鳥庫吉、出雲井晶『昭和天皇の歴史教科書 国史』
かつて吉野南朝の北畠親房は「大日本神国也(おほやまとはかみのくになり)」と述べた。その意図するところは、日本は天皇の血脈が延々と続いていくところにその一体性があり、独自性があるというものだった。(いわゆる国体)

一方で中国は数々の王朝が興っては滅んでいく土地である。(このことは日本が中国より優っていることを意味しない)

「国史」もそのような歴史観に則って書かれている。したがって国の歴史とはいうものの、中に書かれているのは天皇家の血脈の歴史なのである。 だから記紀神話から物語は始まり、よくある吉野ヶ里遺跡とかは出てこない。

国史を読むと、一つの家系が延々と続いてきた事実は奇跡のように思えてくる。
(某所に書いたものを転載)

# by ludwig_mayr | 2007-02-17 00:40 | 日本思想
第八十四夜 類纂新輯明治天皇御集
今日は明治神宮に行って、明治天皇御製を買ってきました。
御製とは天皇陛下のお読みになった和歌のことです。

10000句近く収録されているようなので、ゆっくり読みたいと思います。

よきをとり あしきをすてて 外国に おとらぬ国と なすよしもがな
ちはやふる 神のかためし わが国を 民と共にも 守らざらめや

新生国家日本の意気込みが感じられます。
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# by ludwig_mayr | 2007-02-08 23:46 | 日本文学
第八十三夜 三島由紀夫『奔馬』
「英霊の声」では「天皇陛下を恋して、恋して、恋し奉ればよいのだ」というような表現もあったような気がするので、恋も決起も自己破壊的な激情という点ではそれほど変わらないのかもしれません…

豊饒の海では、エロスによって輪廻が媒介されているような感じがする。
それは法相宗の輪廻のとらえ方自体がそうだからかもしれないけど。中有とか。

# by ludwig_mayr | 2007-01-30 17:53 | 日本文学
第八十二夜 三島由紀夫『憂国』

どうもこれまで三島由紀夫の小説は敬遠してきたのだけど、
友人に強く勧められたので読んでみた。

行間から肉体が立ち上ってくる感じがした。
『死とエロス』の『実践』を求めているような気がする。

エロスを追及すると死に至るというのは、よく言われていることだと思う。
例えばトリスタンとイゾルデ。クリムト。

ところが、誰もこれを実生活で実践した人はいない。

陽明学では「知は行の始めにして、行は知の成なり」という。

つまり、行うことによって知は完成する。理屈だけではダメなのだ。

エロスと死は結合し、それに陽明学の知行合一哲学が加わることによって
自己破壊的な文学が生み出されたのではないだろうか。

よく分からないが、今度友人に聞いてみる。

もしこれが正しい解釈なら、僕はまだまだ三島を読む資格はない。
僕に死とエロスの実践はできるのだろうか?
ためらわざるを得ないからである。

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# by ludwig_mayr | 2007-01-15 15:44 | 日本文学
第八十一夜 角田房子『甘粕大尉』
明日から引っ越し。作業の合間に読んだ、昭和の軍人甘粕正彦の評伝。
甘粕正彦は毀誉褒貶の激しい人物である。大杉栄殺害疑惑を一身に引き受け入獄、短いフランス遊学の後、満州国建国の立役者となる。終戦を迎えるまで満映(国策映画会社)理事長を勤め上げ、日本降伏の数日後に自決する。甘粕は硬骨漢として知られ、豊富な謀略資金を用いて満州を陰で支配していたという。佐藤優氏が何か書いてくれないだろうか。

俳優森繁久弥氏の人物評として、「満州という新しい国に、我々若い者と一緒に情熱を傾け、一緒に夢を見てくれた。ビルを建てようの、金を儲けようのというケチな夢じゃない。一つの国を立派に育て上げようという、大きな夢に酔った人だった 」という発言がある。その「大きな夢」は事後的には「植民地主義」と呼ばれることになる。五族共和も幻想であった。しかし、こういう命を捨ててもよい、という仕事があるというのはある意味人間にとって幸福なことではあるまいか。

あとがきにおいて、著者の中国に対する思いや、甘粕への批判が散見される。これは意外であった。著者は甘粕を、近代的な個を持たない無批判な天皇崇拝者として批判している。しかし、著者は彼の人生を一概に否定することもしていない。むしろその強烈な彼流の愛国心に評価を与えている節すらあるのだ。その姿勢は本文を読んでいてもうかがえる。本文の記述はあくまで実証的な筆致に徹しており、読者に特定の価値観を与えるような書き方はしていない。それゆえ考えの相違があったとしても好感が持てる。

# by ludwig_mayr | 2006-12-28 20:40 | 日本思想
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